肺の影

※初めに結論を言うと、今回の件はがんや重篤な病気ではありませんでした。その上での健康診断から検査までの記録です。

職場の健康診断を受け二週間ほどしてから結果が自宅に届いた。ドキドキしながら封を開けて項目をざっと眺める。胸部X線の結果「E.要二次検査」で、「右下肺野に結節影疑い」だった。

右の肺に結節影?咳も痰も自覚症状は全くないけれど、だからこそ意外な結果にドキリとした。父が肺がんで亡くなってから特にガンを意識するようになって、このブログも作った。その結果が私の「肺の影」だとしたら全く予防は意味がない。まあ、生活習慣よりも遺伝要素が大きいのではとガン家系な自分の身内を振り返ると薄々気が付いているけれど。

早速、CT検査の予約をした。病院を探す間にCTの被ばくなんて記事も見つかって、できるだけ最新の機器を導入している病院を選んだ。検査の日は健康診断の結果が来てから十日後に決めた。早いのはやはり父のことがあったからだ。

検査の日までに健康診断で肺の影が見つかった人の例をネットで検索した。大体は問題がないと言う。それでも当然、肺がんが見つかった人の例も出てくる。それでもこの時は、まだまさかという気持ちの方が大きかった。

そして検査の日。まず最初にCTを撮ってそれから医師の問診とのこと。CTの後に診察室で医師と対面。パソコン画面上のCTの結果を示されて、こう言われる。

「確かに肺に影がありますね。ここのところです」

指差された場所に確かにあった。しかも二センチほどの大きさらしい。はっきりした塊ではなくて、もやもやした雲のような影だけれど、指差されれば私にも分かる。ここで自覚症状の有無やもう少し細かいところを聞かれる。

「血液を採って腫瘍マーカー検査をして、次回の比較のためにレントゲンも撮りましょう」

腫瘍マーカーという単語を聞いてドキリとした。がんの検査だ。可能性があるということか。しかし医師は「多分大丈夫だと思いますけどね」とちっとも深刻に見えない顔で笑いながら言ってのける。

「それと念のために抗菌剤を出しておきます。一日一回それを飲んで、来週また来てください。その時にまたレントゲンを撮って比較するのと同時に、今回の血液検査の結果をお話します。――何か質問はありますか?」

最後の問いかけに対しては「がんですか?」と聞きたかった。けれど結果を聞くのが怖かったこともあって、私は自己完結した。それを調べるために検査をするのだろうから、まだ何とも言えないはずだと。そして「特にありません」と言って終わらせてしまった。

診察室を出てから、採血とレントゲン検査をして薬をもらって病院を後にした。医師の雰囲気とまた来週でいいという点を見ると緊急性のあるものではないらしい。でも影が存在すること、血液検査の内容を考えると憂鬱な気分になる。やはり「がんですか?」とか「がんの可能性は?」とかちゃんと聞いておくべきだったと後悔する。

父のことや両親共にガン家系であることを思い出す。父の肺がんが発覚した時は、確か風邪がずっと治らないと言って病院へ行ったのがきっかけだった。病院嫌いな父だったから、余程の自覚症状があったはずだ。それと比較すると私は咳も痛みも痰も何もない。きっと違うはず。そう思っても不安になる。

次の診察までに、またネットで同じような症状の人を検索する。前回よりも深刻な結果ばかり出てくるのは、CTの結果も影があったからだ。しかし肺に影があって自覚症状がないとすると、非細菌性の結核などの疑いもあるらしい。非結核性肺抗酸菌症という病名がヒットして、しばらくそれを検索した。出された抗菌剤は多分このためだろうとも推測した。それならばきっとがんではないのだとホッとした。

一方で別の最悪の例を見つけては不安にもなった。転移すると腰や頭も痛いらしい。私はパソコンの前にいる時間が長いこともあって、前々から慢性的に腰やら肩やら頭は痛かった。それがもしかしたらがんのせいかもとなんでも関連付けて考えてしまう。

インターネットの世界はありとあらゆる可能性に満ちている。いっそ早く結果が出ないものかともやもやした。結果が気になって、前日からあと何時間とカウントダウンしていた。

そして再診の日。最初にレントゲンを撮るように言われる。そして緊張の医師との対面。

「ここの影ですが、前回よりは薄くなっているように見えます」

何が言いたいのかと身を乗り出して聞いていると、影は何かの炎症のあとの可能性が高いこと、血液検査の結果は正常だと順に説明される。

「がんではないんですか?」
「今のところは違うと思います」

それを聞いてほっとした。けれど医師は「ですが――」と続けた。肺の影がこの先、大きくなったり腫瘍化しないとは言い切れないから、今後も定期的にCT検査をして、経過を観察する必要がありますと。

そして次のスケジュールを予約して、その日は終わった。それが現時点のことで数ヶ月後にまたCT検査が待っている。


ということで、今後も検査が続く不安は残るもの、実際は何もなかったのだから幸せな結果だろう。それをわざわざ書いたのは、同じ状態で悩んで検索するであろう人は、確率的に最悪の宣告をされる人よりもずっと多いだろうからということと、今回の件で学んだことがあったから。

・医師はCTの結果で事前に大体の予測はついているらしい。
最初の診察の時に私はがんかどうか聞けなかったが、仮にその時点で聞いていても、経験からがんだろうとか違うとか医師は思うところを大体は教えてくれただろう。正解率が100%ではないから検査をするのは勿論だけど。
そもそも医師の判断を元に検査の内容をオーダーしているわけだから、もしもっとがんの疑いが濃かったら、最初から内容の濃い検査をしているはず。

・がんは遺伝より生活習慣の方が大きいらしい。
うちは父が肺がんだっただけでなく、両親の親族はほとんどがんが原因で死んでいる。それを医師に聞いてみたが「遺伝ではないでしょう」との答え。個人的な感覚では納得できていないけれど、医学的には「因果関係がはっきりしていない」というところなのだろう。

・ネットの世界にはありとあらゆる可能性がありすぎる。
肺の影の正体を検索していて気が付いたのは、当事者や医療関係者以外、素人の書いたものを含めて、ありとあらゆる症状が肺がんの可能性としてネットには挙げられていること。上で書いたような腰痛・頭痛の転移の可能性から、下痢や視力の低下まで「肺がん」の可能性に繋がるような記事を見た。誇張されたものは大概はアクセス稼ぎのための記事だけれど、全くの嘘とは断言できないところが難しい。
何十万に一の確率でもその記事に該当して命を救われた人がいるなら誇張された記事も存在意義があるのかとも思うが、見ているほとんどの人は余計な悩みと不安を増加させるだけだ。ことに私より深刻な検査結果や自覚症状を持つ人への影響はどうだろうか。ネットの見知らぬ人の言葉の影響力について考えさせられる。

・病は気から。気にしすぎると呼び込むのか。
ガン家系だからこそ食事でも何かの折でも抗がんを意識してきたけれど、今回「もしもがんだとしたら」と考えた時に、意識しすぎた結果「引き寄せ」てしまうこともあるかもしれないと思った。オカルトに聞こえるかもしれないけれど、自己暗示的な面とストレス的な作用の面から。
全くガンを意識せずに生きている人と、抗がんを常に意識している人ではどちらががんに近い位置にいるのか。

・健康診断の有用性。
今回の私のように結果的に何もなかったなら、余計な検査を何度もしてお金も払って面倒を増やしただけとも言えるけれど、まあ前向きに考えたら、事前に病気の芽を摘めた効果があったと思う。定期的に検査をして前の状態と比べることで、病気の発見や経過観察になるらしいので、健康診断は受けた方がいいのだと思った。

・命について。
今回はもしがんだったら――から始まって、最悪の状態まで考えた。結局はただの妄想で済んだけれど、死は遠くの他人事ではなくて意外と近くにあるということを実感した。元気な時は今の平穏が永遠に続くと勘違いしがちだけれど、元気な時、生きている時しかできないことはたくさんある。時間は有限だから後悔しないように後回しにしないように生きよう。